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まほろば通信

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2009年 12月 18日

徳川吉宗の残した弓文化

 「・・・将軍就任ののち、

  水戸中納言綱条  松平加賀守綱紀  小笠原右近将監忠雄 
 
  永井播磨守直亮  小笠原平兵衛常春 小笠原縫殿助持広

  小笠原三右衛門信征  小笠原信濃守(内)村上数馬
 
  伊勢平蔵貞丈  ・・・・・・・・ 鞍馬寺  石清水八幡宮

  加茂神社  吉野諸寺 

  などより古礼の書籍を提出させ、また一方土佐派の古画も参照し、
  進退周施の末までこと細かに調べ、近臣 目賀田長門守守咸
  鈴木対馬守安貞などに教え、たびたび庭前でこれを試み、
  完成した物を目賀田 鈴木をして小笠原縫殿助に伝えしめ、
  これを旗本の諸士の教習させた。・・・・・・」
                            (斉藤直芳 弓馬と名将より)

   吉宗は大的式・百々手式・草鹿式などの歩射の式法を整えて小笠原縫殿助に
   司どらせ、又流鏑馬を再興して小笠原平兵衛に司らせました。(現在、この歩射
   の式も平兵衛家が伝え守っております)

   吉宗の功績はいくつもあり、他の功績にうもれてしまっていますが、この
   弓の文化に残した功績も大きいものが有るとおもいます。

   流鏑馬再興を吉宗に命じられた成島道筑という人物が吉宗にあたえた影響も
   かなりあったのだろうナー・・・・・
   この成島道筑という人物は「御書物部屋」をまかされる人でただの「奥坊主」
   でない当時一流の儒学者であり歌人あり、実に多才な有能な人だったらしい。
   
   
 

by ogasawararyuu | 2009-12-18 17:19 | やぶさめ


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